2025年12月16日

べらぼう最終話 前編

今日は朝から健康診断で、その帰りにちょっと寄り道をして、昼過ぎに帰宅しました。
検査でバリウムと下剤を飲んでいるので、どうしてもお腹が気になるため、午後はずっと部屋で大人しくしていました(笑)

さて、一昨日放映された大河ドラマべらぼう 蔦重栄華乃夢噺の最終話(第48話)蔦重栄華乃夢噺

いやぁ、笑いあり涙ありユーモアありの粋な最終回で、観終わった後に思わず拍手喝采をしてしまいました。
ホント、1年間、このドラマを見続けることが出来て幸せでしたね。
そして、このドラマは、蔦屋重三郎が、森下佳子という当代随一の戯作者に書かせた、とびっきり面白い現代の「黄表紙」なのではないかと、そう思った次第でした。

尚、この最終話の感想は、非常に長くなるので、前後編の2回に分けて掲載します(笑)

で、今回は、秘密裏に阿波に送られた一橋治済のその後から始まりましたが、この男、小用を足したいと言って閉じ込められていた箱から外に出た際に、隙を突いて付き添いの侍の刀を奪って刺し殺し、そのまま逃走してしまいました!
降りしきる雨の中、川を渡ろうとする治済。
そして、気味の悪い笑い声を上げ、「待っておれよ、傀儡ども!」と叫んだ時、落雷がその体を貫き、治済はそのまま絶命してしまいました!

尚、この落雷ですが、治済が振り上げた刀ではなく、治済の頭に直撃していました。
まるで狙いすましたかのようなその紫電一閃には明らかに意志があったように見えました。

落雷の瞬間、私は思わず「源内・・・」と呟いてしまいましたが、死して雷獣となった源内がエレキテルで治済を誅殺したのでしょうか。
これはまさに「天罰」が下ったと言えますが、「天は天の名を語る者を決して許さぬ」ということなのでしょう。

尚、この稀代の悪党は阿波送りになって終わりかと思われましたが、制作サイドは容赦なくその命を絶ってしまいました。
いやぁ、この顛末には本当に驚かされてしまいましたが、本作の治済には相応しい最期だったように思いますね。

一方、治済の替え玉となった斎藤十郎兵衛は、絵の心得があるようで、写楽の絵を模写して蔦重に「お上手にございますね」と褒められていました。
「しかし、写楽絵は、今、かような段取りで作っておるのか」と言う十郎兵衛。十郎兵衛の描いた絵もまた写楽絵となるのでしょう。
そして、蔦重は「せっかくここまで顔を作り込んだもの、使い回さぬ手はございません。顔を真似て描けば、それは写楽絵となるのでございます」と答えていましたが、なるほど、これが写楽の絵の構図や画風が大きく変わっていった理由なのですね。

すると、そこに、治済が道中で雷に打たれて命を落としたという知らせが入りました。
又、治済の亡骸の傍らには、「”変わった髷の男”が佇んでいたが、皆がやって来ると消えてしまった」と伝えられていました。

それを聞いた蔦重はきっと「源内先生だ」と思った筈ですが、それは口に出さず、本物が死んでしまったなら、病死とかということにして、十郎兵衛を解放出来ないかと尋ねました。
しかし、蜂須賀家では十郎兵衛は逐電したことになっており、既に新しい斎藤十郎兵衛が支度されているため、「自分は戻る先も無い」と十郎兵衛は語りました。

更に、その逐電は全く騒ぎにはならず、十郎兵衛は「私など、いていなくても、さして変わらぬ者であったということだ」と淋しそうな表情を見せましたが、それでも「この(替え玉)の暮らしも悪くないと思っている」と笑顔を見せました。
「毎日美味いものを食べ、ただ遊んでおればよい。夢のような・・・」と語る十郎兵衛でしたが、彼もまたある意味で飼い殺しの傀儡であると言えます。
そう考えると、ちょっと悲しくもありますが、それが能役者斎藤十郎兵衛が生涯を賭けて演じる役割であり、使命でもあるのでしょう。

因みに、この報せを伝えに来た田沼意致ですが、前回、松平定信が「元家老であった田沼の甥などを内々に入れるよう計らっておる」と言っていましたが、意致は田沼意次の甥(意次は父方の伯父)にあたります。
意次が失脚して田沼派が一掃された際、意致も御用御取次を罷免されて菊の間縁詰となりましたが、御側御用取次として再登用されるということは、よほど仕事が出来る有能な人物だったということなのでしょう。
又、後年には意次の息子の意正(田代玄播)が相良に復帰し、復権を果たすことになるのですが、田沼はしっかりと生き残ったワケです。

それと、ナレーションで、これまで斎藤十郎兵衛が江戸市中の流行り場にちょくちょく現れていたことが説明されましたが、看板娘の行列に並んでいたりとか、松平定信の老中辞職の読売を買っていたりとか、それは実は十郎兵衛だったという答え合わせがありました(笑)
その時はてっきり治済のお忍びの姿だと思っていましたが、替え玉だったなんて、判るかい!そんなもん!(笑)
ただ、替え玉だと判ったうえで見ると、ちょっと表情とか仕草が違うのが判りますね(笑)
あ、そう言えば、このドラマでは以前にも「朋誠堂喜三二を探せ」がありましたが、なかなか手の込んだ遊びを入れて来ます(笑)

で、模写で写楽絵を発展させた蔦重ですが、コピペで作った全身図は思ったほど流行らず、写楽は寛政7年(1795年)の正月を限りに打ち切ることになりました。
登場から僅かに10ヶ月、正体不明の謎の絵師写楽は忽然と姿を消してしまうのです。

尚、写楽の正体については、当時の名だたる絵師の殆どが候補として上げられており、中には松平定信という声もあることに仕掛けた張本人の蔦重も驚き、太田南畝も「人というのはつくづく思いがけぬことを考えるものであるな」と感心していました。
そこで、北尾重政が「写楽は歌だってなぁ言わねえのか?いっち骨折ったのは歌じゃねえか」と言い、蔦重も歌麿に「歌麿先生はどうだ?世に知らせてえか?」と尋ねましたが、歌麿は「俺の絵って言われてもしっくりこねえし、皆が写楽、それがいい」と笑顔で答えました。

すると、蔦重は「皆に相談がある」として、「実は、陰で骨を折って下さったお方がいんですよ」と言って斎藤十郎兵衛の名を出しました。
そして、蔦重は東洲斎写楽の東洲斎をひっくり返すと斎東洲→斎藤十というアナグラムになると説明し、「なんで、このお方も後の世で写楽の一人って名が上がるような仕掛けが出来ねえかって」と皆に相談を持ちかけるのです。
やはり、蔦重としては、斎藤十郎兵衛が存在した証しを残したかったのでしょうね。

それにしても、「斎藤十郎兵衛=写楽」というのが現在の定説ですが、それをこういう筋立てにして回収するとは、「こう来たか!」な見事な展開ですね。
尚、阿波徳島藩の蜂須賀家のお抱えの能役者である斎藤十郎兵衛が写楽というのは、考証家の文人・斎藤月岑が天保15年(1844年)に著した「増補浮世絵類考」の「写楽斎」の項に「俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也」と記載されているからです。

しかし、その斎藤十郎兵衛が実在するかどうかは判らなかったのですが、平成9年(1997年)にその実在が確認させる資料が発見されたたため、この説が俄然有力になりました。
そうです。写楽の正体について、斎藤十郎兵衛説が有力になったのは、つい最近のことだったりするのです。

又、写楽が活動した10か月の期間が、当時の蜂須賀家の当主が参勤交代で帰国していて江戸に不在だった時期に一致していることや、前述した「東洲斎→斎東洲→斎藤十」のアナグラムも傍証の一つになっています。
それと、蔦重から十郎兵衛が阿波蜂須賀家の能役者と聞いた南畝が「蜂須賀家の屋敷は・・・」と言いかけていましたが、「増補浮世絵類考」に記されている当時の八丁堀には徳島藩の江戸屋敷が存在し、その中屋敷には藩お抱えの能役者が居住していたのです。

というワケで、今回、写楽=斎藤十郎兵衛も見事に回収されたワケですが、今に伝わる写楽の正体に関する様々な説は、このドラマのように、実際は蔦重の仕掛けだったとしたら、堪らなく痛快な話ですね(笑)
いや、治済の替え玉云々は別にしても、そういうこともあり得るのかな思うのです。
そもそも、斎藤十郎兵衛の実在は判明したとしても、彼が実際に描いた絵というものは見つかっていないワケですから、有力ではあっても決定的ではないでしょう(笑)

それと、仕事が溜まっているのでと一足先に会合から抜け出した歌麿に、ていが「この度はまことにお助け頂きありがとうございました」と深々と頭を下げて礼を言っていましたが、そこで歌麿がていに返した言葉にはもう涙でしたね。
「こちらこそありがた山でした」と礼を返す歌麿は、「何か許されてるみてえな気がしたんだ。俺ゃ望まれない子でね。けど、写楽の絵には皆が溶け合ってんじゃねえですか。重政先生や政演さん、政美、一九、春朗、蔦重や南畝先生、三和さん、まぁさんの考え、源内先生だって」と素直な心情を吐露しました。
そして、「俺もその一部ってえか・・・。”鬼の子”も、この世の仲間入りしていいんですよって言われてるみたいでさ」と晴れやかな表情で写楽の喜びを伝えるのですが、だからこそ歌麿は自分が写楽なのではなく「皆が写楽、それがいい」と言ったのですね。

って言うか、だからこそこのドラマでは写楽は皆のチームプロジェクトだったワケです。
いや、写楽とは、そうでなければならなかった必然の帰結だったのですね。

そして、そう考えると、写楽とは、治済に対する仇討ちプロジェクト、恋川春町への追悼のプロジェクト、そして、歌麿の精神的な成長という全てに直結する緻密で壮大な物語上のギミックだったことがよく判ります。
ホント、この作劇には唸らされましたが、「そう来たか!」ではなく「そう来て、ああ行って、こう来るの!」でしたね(笑)

で、歌麿は「まぁ、とにかく、声かけてくれてありがとう、義姉さん。義兄さんにもそう言っておいてよ」とていに告げて出て行きましたが、いやぁ、この台詞にもグッときましたね。
おていさんでなく義姉さん!蔦重ではなく義兄さん!歌麿が心から素直にそう呼べる心境に至ったのだなと思うと、本当に感慨深いものがあります。

そして、その翌朝、ていからそのことを聞いた蔦重は非常に喜んでいましたが、なかなかの二日酔いのようでしたね(笑)
と言うのも、南畝が学問吟味(学力試験)に一番で合格したとか、政美が津山松平家のお抱えになったとか、政演の店(煙草入屋)が大繁盛とか、良い話しが多くて、ついつい飲み過ぎてしまったようです(笑)
で、そこで蔦重が口にしていたのが「シジミ汁」!
確かに、シジミ汁は二日酔いに利くと言われていますが、しっかりとアップにもなっていましたし、これはもう朝ドラばけばけに対するエール以外にないでしょう(笑)

すると、ていが誰かの忘れ物の「玉くしげ」という本を蔦重に渡しました。
そして、蔦重が本屋の会合で鶴屋に確認したところ、この本は南畝の忘れ物だったようですが、実はこの本がなかなか曲者な本だったのです。

尚、この本の作者は国学者で医師の本居宣長という人物で、その本の中で宣長は「儒学は異国風の虚偽であり、日本には合わない」と説いていました。
なので、蔦重がどうしてこの作者は手鎖にならないのかと尋ねると、鶴屋は「江戸の人じゃないから捕まらないんじゃないですか?市中ではごく小さくしか扱っていないようですし」と答えていました。
そして、そこで蔦重のビジネスセンサーが働くのです(笑)

「小さくしか?」とニヤッと笑う蔦重を見て、「おめえ、またろくでもねえこと考えてんじゃねえだろうな!」「よしてくれよ!仲間!仲間なんだぞ俺ら!」と思いっ切り警戒する本屋仲間たち(笑)
まぁ、彼らも蔦中にはさんざん凝りていますし、鶴屋が「真面目な話、今度何かやらかしたら、身上没収、商い召し上げだと思いますよ」と言うのも頷けます(笑)
で、蔦重は「・・・ですよねぇ」と答えましたが、仲間もよく知ったるもので、「その”ですよね”は違うだろう!」と即座にツッコミを入れていましたが、皆さん蔦重の懲りない面構えをよく判っているのです(笑)

で、その後、蔦重は伊勢に赴き、本居宣長と面談しました。
宣長の本を江戸で売り広めたいというのが蔦重の希望でしたが、宣長は「江戸なんかで大ぴらに売り広められたら、どうなるか知れたもんやない。折角積み上げて来た学問が殺される」と拒否しました。

すると、蔦重は「ここだけの話」として「写楽は松平定信の命で始めた」と打ち明け、自分には定信というバックが付いていることを明かし、定信からの手紙を宣長に見せるのです。
実は蔦重は儒学を否定する宣長の本を売り広めるにあたり、事前に定信に手紙を送って相談をしていたのですね。
流石は蔦重、抜かりがありませんし、築いた人脈は徹底的に生かします。

で、定信の返事には、「儒学は否とするものであっても和学は別。和学は田安が大事にしてきた学問でもある」とありました。
つまり、和学は例外的に許すというお墨付きであり、それを持って蔦重は宣長のもとにやって来たワケです。

尚、蔦重は定信に言いつけられた通り、新刊本などを白河に送っているようですね。
又、白河にいる定信が、ストレスから解放されたかのような、明るくて穏やかな表情をしていたのが印象的でした、

そして、宣長に「儒学は”すべき””なすべき””こうあるべき”。政には都合の良いうってつけの考えだ」と語る蔦重。
確かに、儒学は政治にうってつけの学問であり、忘八の「八」を意味する「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの徳は、全て国家と国民の関係性に置き換えることが出来る都合の良い思想だったりします。
例えば、「孝」は親孝行を示しますが、国王が親で国民が子と考えれば、国民が王のために尽くすのは「孝」であるということになるのですす。

更に、蔦重は「でも、そりゃ異国からのもんで、元々、日の本の考えは違った。この国はイザナギとイザナミが産んだ国。天照大御神がアメノウズメの艶めかしい踊り見たさにうっかり顔を出しちまったような、スケベでおっちょこちょいで祭りが大好きな神様が集う国」であると語りました。
そうです。確かに日本はそんな国ですし、単一神ではなく”八百万の神”が集う国という大きな特徴がある国です。

で、宣長が「スケベでおっちょこちょいは言い過ぎや」とツッコミましたが、蔦重は「その神様たちが起こすいちいちを、俺らのご先祖は受け止めた。生まれ来ること、滅びゆくこと、喜び、悲しみ、善も、悪ですら、”もののあはれ”という飛び切りでけえ器で。そのでけえ器を、私ゃ、江戸の皆に知って欲しいのでございます」と真意を語るのです。

尚、この蔦重の言葉に宣長は大変満足そうな表情を見せていましたが、これは宣長にとっては実に嬉しい言葉だったことでしょう。
なにせ宣長は「古事記」を研究して「古事記伝」という注釈書を著したり、「源氏物語」を研究し、その中に見られる「もののあはれ」という日本固有の情緒こそが文学の本質であると提唱した人物ですからね。
そして、大昔から脈々と伝わる自然情緒や精神を第一義とし、外来的な学術思想である儒学を自然に背く考えであると非難した人物なのです。

って言うか、本居宣長を演じた北村一輝さん。
このシーンだけの出番でしたが、一癖も二癖もありそうなキャラクターで、強烈な印象を残したように思います(笑)
ホント、このドラマ、キャスティングが見事だと思います(笑)

そして、伊勢からの帰り道の宮宿で、蔦重は旅籠に耕書堂の黄表紙が置かれているのを見て、「嬉しいねぇ。こんなとこまで」と感慨深そうにしていました。
まぁ、宮宿は東海道最大の宿場ですから、本を置いている店もあったことでしょう。
因みに、宮宿は東海道41番目の宿場で、現在の名古屋市の熱田区にあたります。

すると、蔦重はそこで「黄表紙は短い。もっと長く楽しめるものを出して欲しい」という読者の生の声を聞きます。
これはユーザーニーズであり、蔦重は直ぐにそれを次の商売に反映するのですね。

で、江戸に戻るなり蔦重は馬琴と一九を呼び出して、馬琴には「長い話」を依頼しました。
それは「話の筋がうねるような作品」で、「面白いというのはなにも笑えるということだけではない」と蔦重は言いました。
そして、蔦重は「馬琴の頭の中にあるのは、芝居のような長い話しで、それを黄表紙の短さにしようとするから話がとっ散らかる」と指摘するのですが、蔦重は馬琴がその真価を発揮するのは黄表紙ではないということを見抜いていたワケです。

又、一九には、「江戸に縛られない話」を頼むと言いました。
どこの生まれであるかも問わず、老若男女が等しく楽しめる黄表紙。そんなオールラウンダーな黄表紙を一九に依頼する蔦重。
つまり、一九には、まさに大衆娯楽の王道となる作品を依頼したワケです。

無論、これは後の馬琴の「椿説弓張月」とか「南総里見八犬伝」や、一九の「東海道中膝栗毛」に通じるものです。
そして、そんな名作たちの下地を蔦重が作ったとも言える描写なのでしょうね。

すると、そこにていが長谷川平蔵からの文を持って来ました。
そして、呼び出された蔦重は、とある駕籠屋に出向くのですが、その駕籠屋には休憩中に黄表紙を読んでいる駕籠かきが大勢おり、「どうにも、あそこの女将は、本が好きなようでな」と平蔵が言いました。

それで、全視聴者がピンと来たと思いますが、まさかここに瀬川が!
尚、平蔵は配下が「気を利かせて見つけて来てくれた」と説明しましたが、平蔵もまた「蔦重も気になっているだろう」と考えて知らせてくれたワケです。

「子にも恵まれ、幸せにしておるようだ」という平蔵の言葉に私もホッとさせられましたが、瀬川は吉原から消えた後も必死に生きて来たのでしょう。
本を傍らに、辛い時も、苦しい時も、噴火にも、飢饉にも、大水にも、倹約にも負けずに生きて来たのでしょう。
あ、そうそう。そんな瀬川の現在の名前が「しお」だったりすると、これまた非常に感慨深いものがありますね。

ただ、平蔵はそれだけを伝えるために蔦重を呼び出したワケではありませんでした。
平蔵は「実は、岡場所に大掛かりな警動が入る」と、蔦重に吉原に関わる重要な情報を知らせてくれたのです。

「その者らは、皆、吉原に押し込まれる。吉原は更に厳しくなるだろう」と言う平蔵。
しかし、「それでも、時には蓮の花が咲く、泥沼であって欲しい」と、吉原への平蔵なりの思いを口にするのです。

確かに、平蔵にとって、吉原は青春の場所でした。
蔦重と瀬川(当時は花の井)に50両をふんだくられたこともありましたが(笑)、それでも思い入れの深い場所に違いありません。
たとえそれが情勢が変わって泥沼のような混濁した場所になってしまったとしても、「泥中の蓮」という言葉があるように、時には蓮の花が咲く場所であって欲しいというその願いは、平蔵の偽りのない真摯な想いであったと思うのです。

そして、女将の後ろ姿を声を掛けるでもなく笑顔で見つめる二人。
一人の女郎に惚れた者同士、共にかつての青春の欠片を見送ったのかもしれません。

尚、平蔵は自慢のシケもすっかり白くなってしまい、又、身体も相当に悪いようです。
因みに、平蔵は寛政7年(1787年)に50歳の若さで亡くなっていますので、これは死ぬ前の友人への粋な計らいだったのかもしれません。

で、蔦重は吉原の親父たちに「警動」を知らせましたが、岡場所から流れて来た女郎は岡場所の連中によって安売りされます。
茶屋も通さず、座敷も開かず、食えない女芸者は色を売り出し、料理屋も潰れていく。
倹約と風俗の取り締まり以降の吉原は、相変わらずそんな状況が続いているワケです。

そんな状況に追い討ちをかけるかのような更なる警動に親父衆は憤懣やる方ない表情でしたが、そこで蔦重が吉原の「定書」を作ることを提案しました。
吉原で商売をするのならば、守らなければならない「しきたり」を書面にして、お上のお墨付きを貰って公のルールとする。
「不粋極まりねえけど、このままじゃ吉原の流儀も廃れる。流儀が廃れて良くなるってんなら話は別ですが、女は安くなり、町もやってけねえってんなら、向うの流儀に合わせる義理もねえでしょう」と蔦重は言いましたが、それは全く以てその通りです。

又、その定書に女郎の扱いも書いてしまえば、女たちの扱いが纏めて引き上げられてしまうことも防ぐことが出来ます。
そして、蔦重たちは81箇条にも及ぶ事細かな定書を作り、それが御公儀お墨付きの「新吉原町定書」の誕生に繋がるのです。

って言うか、吉原に最も大事なのは「格」と「流儀」であり、逆を言えば、それが吉原を吉原たらしめている要素と言えますし、平蔵もそこを愛したのでしょう。
それと、以前に蔦重の尽力で吉原が女郎の扱いや福利厚生などを見直すという流れがありましたが、「格」と「流儀」を守ることは女郎を守ることにもなります。
そして、蔦重にとっての吉原は、世間から「見上げられる場所」であって、そこで働く女郎たちが「良い思い出を一杯持って大門を出ていける場所」にしたいという思いは、今でも変わっていないのです。

一方、耕書堂は、馬琴の読本が話題を呼び、本居宣長の書物は待ちかねていた知識層にバカ売れし、硬軟両面で存在感を示す本屋となりました。
尚、「硬」である書物の部分でも売り上げを伸ばしたというのは、身上半減の中でも書物問屋の株を買っておいたのが功を奏したということにもなりますが、これはおていさんのお手柄と言えるでしょう(笑)

で、そんな我が世の春の蔦重でしたが、吉原の会合の席でその身に異変が起こりました。
左足がいうことを聞かず、続けざまに二度も転んでしまったのです。
我らが蔦重は、寛政8年(1788年)の秋、恐ろしい病魔に襲われてしまいました・・・。

というところで、このあらすじ感想は次回に続きます。
posted by メルシー伯 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 大河ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月15日

明日は健康診断

今日は気が重い週初めの出勤日でしたが、あと2週間も我慢すれば年末年始休暇です。
なので、もうちょっとの辛抱です(笑)

さて、私は明日は朝から健康診断です。

にも関わらず、鼻がグズグズしてきました(笑)
最近、会社でも風邪っ引きやインフルも発生していますし、通勤の電車中でも咳をしている人が結構います。
予防のためにうがいと手洗いとマスクは欠かしていませんが、ひょっとしたらちょっと貰ってしまったかもしれません。

それろ、健康診断ということで、21:00以降は水しか飲めません(笑)
なので、遅くまで起きていても仕方ありませんので、サッサと寝ることにします(笑)

って言うか、健康診断も面倒臭いですね。
特に、バリウムが嫌です。

尚、私の周りは胃カメラの方が良いと言いますが、私はどうも抵抗があります(笑)
ただ、バリウムの検査は検査中もアクロバットも辛いですし、飲んだ後も大変です。
特に、便秘気味だったりすると、なおさらです(笑)

尚、明日は8:30までに病院の健診センターで受付をしなければならないので、普段と変わらない時間に起きて、普段通りの時間に部屋を出なければなりません(笑)
普段よりも朝寝坊が出来るとありがたかったのですが、受付時間は指定なので仕方がありません。まぁ、これも仕事のようなものです(笑)

というワケで、今日はもう寝ます。
月曜日はべらぼうのあらすじ感想の記事を書く予定にしていますが、そちらは明日に先送りすることにします(笑)
posted by メルシー伯 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月14日

グレイファントム

今日は朝から雨の寒い一日でした。
ただ、雨は昼には止みましたが、どよ〜んと暗い一日でした。

それにしても、今日は、「シンデレラグレイ」と「ザ・ロイヤルファミリー」で、2回も有馬記念を見ました。
現実の有馬記念は再来週ですが、いやが上にも気分が高まってしまいました(笑)
まぁ、JRAにしては非常に効果的な宣伝になったことでしょう(笑)

で、そのウマ娘 シンデレラグレイの第22話灰の怪物

因みに、「灰の怪物」と書いて「グレイファントム=GRAY PHANTOM」と読みます。
これは、オグリキャップが体得した、能力の限界を超えて力を発揮することが出来る「領域=ゾーン」のことです。

尚、タマモクロスには「白い稲妻」、オベイユアマスターには「WILD JOCKER」というゾーンがありますが、このゾーンはウマ娘それぞれの固有のスーパースキルと言えます。
又、ゾーンを発動した際には視覚的なエフェクトとして様々な色のオーラが出現しますが、オグリのゾーンは決してヒロインが出して良い色のオーラではありません(笑)
しかし、その黒色は、相手の全てを塗り潰してしまうかのような、暴力的なまでの力の象徴なのかもしれません。

で、最終直線に入った「有マ記念」。
「白い稲妻」を発動して3コーナーから大捲りをかけたタマがオグリに肉薄しますが、現実のレースでも後方から進んだタマモクロスがスローペースを見越して3コーナーから早めに動く展開となりました。

他のウマ娘たちを圧倒して怯えさせるほどの強力な存在感とプレッシャー。
それを先行したオグリもひしひしと感じているようですが、気配で周囲をビビらすとか、まるでタマは猛獣のようです。

それと、ルドルフはタマを見て「超集中状態であるゾーンはパフォーマンスの向上などのメリットも大きいが、それ故、激しく体力を消耗する。つまり、長距離戦には不向きの筈だが、意識的に制御しているのか!」と驚いていましたが、それがタマの恐ろしさなのでしょう。
又、タマには他のウマ娘が止まっているように見えていましたが、これは絶好調のバッターがボールがスローに見えるというのと同じようなものなのでしょうね。
ともあれ、自分だけの世界=領域というのは、そういう研ぎ澄まされた極限状態であるということが良く判る表現だと思います。

そして、遂にオグリを捕らえたタマ。この時の「さぁ!うちとやろうや!オグリキャップ!」というタマの台詞には痺れましたね!
しかし、オグリも懸命に抗ってタマを前に出さず、激しいデッドヒートを繰り広げます。

で、それに触発されたディクタストライカもゾーン「弾丸蹴脚(弾丸シュート)」を発動し、オグリとタマに迫ります。
内にオグリ、外にタマ、その後方から迫るディクタ。スーパークリークもオグリの内を突いて上がって来ようとしています。

尚、シンボリルドルフが言った通り、追う者と追われる者とでは、追われる者の方が断然に苦しいでしょう。
そして、そのプレッシャーを受けながら走っているオグリの体力は限界に近づいています。

しかし、それでもなおオグリはタマを抜かせようとはしません。
そのオグリのしぶとさにタマも感嘆し、カサマツで初めてオグリを見た時に感じた「予見」が確信だったことを理解します。

って言うか、ここで回想が入ったりするのはスポーツ物のお約束ではありますが、オグリの回想は泣けますよね!
生まれた時から脚が悪く、立って歩くこともままならなかった小さなウマ娘。
それが、今、有マ記念という大舞台で強敵と火花を散らしているのです。

因みに、史実馬のオグリキャップは、誕生時には右前脚が大きく外向しており、出生直後はなかなか自力で立ち上がることが出来ず、牧場関係者が抱きかかえて初乳を飲ませたという逸話があります。
又、仔馬が無事に成長するよう願いを込め血統名(幼名)は「ハツラツ」と名付けられましたが、あの可愛らしいチビオグリの別名はハツラツちゃんだったのかもしれません(笑)

「お母さんのおかげで走れるようになった。カサマツの皆のおかげで走る楽しさを知った。中央の皆、そして、タマのおかげでここまで来れた。答えを見つけられた。そうだ。私が闘うべきなのは、誰でもない、私自身だ!」と確信するオグリ。

そして、その想いが限界の壁を壊し、オグリのゾーン「灰の怪物(グレイファントム)」が発動しました。

「だって、私は、走るために生まれて来たのだから」。

「思いのままに走る、ことしかないんだ」。これは第1クールのEDの歌詞の一節ですが、その切実な想いを強い肯定感と希望を持って力に変えたのが「灰の怪物」なのでしょう。

で、覚醒した灰の怪物は白い稲妻と共に爆走します。
そして、オグリ覚醒を察したディクタも「あれがアイツの本当の姿か。オグリ、やっぱお前は最高だよ」と加速しようとしましたが、そこでゾーンが消えてしまいました。
それは、出血によるものなのか、早めのスパートのよる消耗のためなのか、2500mという不適格な距離の故なのか。
いずれにしても、これはゾーンは思い入れや根性だけでは持続出来ないという厳しい現実を描いているとも言えます。

しかし、ここで入るオグリとタマの子ども時代の邂逅のシーンは反則ですよ!
漫画を読んだ時にも泣けてしまいましたが、アニメだと更に泣けますね(笑)

又、それを俯瞰で見ているオグリとタマの構図というのも非常にエモーショナルでしたし、しかも、そこでタマの「本当はもっとオグリと走り続けたい」という偽らざる心情が語られるのには、もうこちらも涙腺が崩壊でした。
ホント、堪らない演出ですが、レースの決着よりも、これがこの回のクライマックスだったと言っても良いでしょう。

「名残惜しいな。もうゴールかいな」「タマは本当に走るのが好きなんだな」「そらお互い様やろ」「さて」「ほな」「行こうか」

そんな二人は笑顔で走っています。
限界を超えた走りの中で見せる清々しいその笑顔。それは、闘争心とか勝利への渇望を超えたウマ娘の純粋な「走るという喜び」だったのかもしれません。

そして、ゴール。
オグリがタマを1/2バ身下して1着でゴールインしました。
秋の天皇賞とジャパンカップの二つのレースでタマにつけられた1バ身1/4の着差。三度目の勝負でオグリはそれを覆すことが出来たのです。

ゴール後、オグリに「おめでとう」と声を掛けるタマに、「レース前、目標にするのは止めたと言った。けど、撤回する。やはり、君は強い。私にとってタマモクロスは、これからもずっと目標でありライバルだ」と言うオグリ。
タマもオグリを抱きしめ、「こっちの台詞や、アホ」と涙を見せました。
そして、二人の芦毛のウマ娘の戦いは、これで終わってしまったワケです。

尚、レース中の斜行による進路妨害でクリークが失格になったのは実話の通りです。
又、ディクタの歯が欠けたのも実話の通りで、モデルのサッカーボーイは、スタートでゲートに顔をぶつけてしまって鼻出血と歯を1本折ってしまいました。
しかし、そんな状態で、しかも、適性外とも言える2500mのレースで、4着入線(クリークの失格で繰り上がり3着)なのですから、やはりサッカーボーイはとんでもない馬です。

それと、今回はレース後のウイニングライブが描かれましたが、これをしっかり描いてくれたのは嬉しいですね。
アニメで漫画の内容を補完してくれた感じですが、やはりプリティーが少なくてもアニメならウイニングライブは必須でしょう(笑)
ただ、ミニーが「カサマツで音頭踊ってたのが懐かしいね」と言っていましたが、全く以てその通りであり、今回は東京音頭でなくて本当に良かったと思います(笑)
しかし、大量の出血と歯の損傷がありながらもウイニングライブに参加して歌って踊るディクタって凄いですね(笑)
ウイニングライブは、ウマ娘にとって、レースよりも過酷なのではないでしょうか(笑)

あと、ウイニングライブを見ながらフジマサマーチが「眩しいな」と言って、北原も「ああ。眩しくて良く見えねえよ」と涙を流すのもアニメオリジナルのシーンですね。
又、六平トーレーナーが「お前さんもよく頑張ったな」とベルノライトを労うシーンも漫画には無いシーンでしたが、こういうシーンを入れてくれるが嬉しいですね。

そして、オグリはファンの前で「私一人ではここまで来れなかった。私を支えてくれた仲間たち。私と競ってくれたライバルたち。そして、皆が背中を押してくれたからここまで来れた。走る理由を見つけられた。私を応援してくれた全ての人のおかげだ。ありがとう」と感謝の気持ちを述べました。
尚、「ありがとう」という言葉は、ここだけではなく、オグリにとって、先々意味のある重要な言葉になります。ここ、試験に出ます(笑)

で、次回が第2クールの最終回となりますが、原作のどこまでやるのでしょうかね。
個人的には大井出身のチャキチャキの江戸っ子ウマ娘が登場して「Season2」に続く、となることを期待したいところなのですが、果たしてどうなるでしょうか。
ともあれ、次回の最終話もしっかりと刮目して視聴したいと思います。
ラベル:ウマ娘
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2025年12月13日

原田眞人さんの訃報に寄せて

今日の東京は最高気温が9度と10℃を下回り、今季一番の冷え込みとなりました。
実際に外出しても寒かったですし、部屋に居ても暖房の利きがいまひとつでした。

さて、今日、著名な映画監督の訃報が報じられました。

それは、原田眞人さん。

12月8日に76歳でお亡くなりになったことが報じられました。
謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。

尚、原田監督は、日本映画界の巨匠の一人として知られていますが、社会派の大作の監督というイメージが強いでしょうか。
しかし、フィルモグラフィーはバラエティに富んでおり、そう簡単にカテゴライズ出来る映画監督ではありません。

因みに、私が原田監督の名を初めて意識したのは、1989年のガンヘッドでした。
こちらは巨大ロボット物の特撮作品で、そんなに評価は高くない作品ですが、私はなんか面白くて新しいという印象を持ったものでした。

他には、1999年の金融腐蝕列島 呪縛
こちらは高杉良さんの経済小説の映画化ですが、ビジネス物というよりも企業サスペンス物として面白かったですね。

それと、連合赤軍による「あさま山荘事件」という日本史上に残る立てこもり事件を映画化した2002年の突入せよ!あさま山荘事件
こちらは当時指揮幕僚団として派遣された佐々淳行さん著書「連合赤軍あさま山荘事件」を原作とした作品であり、警察側や権力側の視点から描かれた物語です。
私としては、反体制側の視点も見せて欲しいと思いましたが、本作はいかにして人質を救出するかという物語であり、思想信条がどうのこうのという物語ではありません。

あと、日航機の墜落事故を題材とした横山秀夫さんの小説を映画化した2008年のクライマーズ・ハイ
こちらは日本アカデミー賞で優秀作品賞を含む10部門の優秀賞を獲得しており、原田監督の代表作と言えるでしょう。

他にも、司馬遼太郎さんの歴史小説を原作とした関ケ原燃えよ剣岡本喜八監督の名作をリメイクした日本のいちばん長い日など、歴史物の大作も手掛けられています。

それと、AKB48のメンバーが出演した2007年のホラー映画伝染歌や、木村拓哉さんと二宮和也さんが共演した2018年の検察側の罪人も大きな話題になったかと思います。

因みに、私がこれまで観た原田作品の中で一番好きなのは、2015年の駆け込み女と駆け出し男です。
こちらは、井上ひさしさんの「東慶寺花だより」を原案とした作品で、女性からの離縁の申立が出来なかった江戸時代後期の駆け込み寺の話ですが、笑いあり涙ありの物語で、掛け合いの面白さとか、非常に満足度の高い作品でした。

尚、原田監督はなかなか異色の経歴の持ち主としても知られています。
というのも、スタートは映画評論家でライターだったのですね。
その後は、映画の勉強のためのアメリカで6年間修業をし、映画の字幕翻訳家としても活動されていました。
又、俳優として映画ラストサムライに大村松江という大臣の役で出演されています。

そういう意味では、原田監督は、「映画に生きた人」とも言えるでしょうか。
そして、そんな映画人の逝去に際し、心からご冥福をお祈り申し上げると共に、深い哀悼の意を表する次第です。
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2025年12月12日

今年の漢字2025

今日も青森で最大震度4を記録する地震があり、各地に津波注意報が出されました。
現在は「後発地震注意報」が発表されていますが、本震と同程度の規模の余震はよくありますし、今後も引き続き注意が必要です。

さて、今日、毎年恒例の今年の漢字が発表されました。

因みに、「今年の漢字」とは、京都市に本部がある日本漢字能力検定協会がその年の世相を表す漢字一文字を一般から募集し、その中で応募が最も多かった字を選出するというもので、今年で31回目を迎える歴史あるイベントです。

そして、今年はこの漢字が選ばれました。

それは、「熊」

今年はとにかく熊による被害が多く、それこそ毎日にように熊に関連するニュースが報じられていました。
12月に入って少なくなったような感じもありますが、ここまで熊のニュースが多い年は初めてのような気がします。

いや、ニュースが多かっただけではなく、実際に被害も多いです。
環境省のデータに基づいた記事によると、ここ5年間の被害者数の推移は以下の通りとなっています。( )は死亡者数です。

2025年度は230人(13人)、2024年度は85人(3人)、2023年度は219人(6人)、2022年度は75人(2人)、2021年度は88人(5人)。

又、驚くべきは出没数なのですが、今年の4〜10月の出没数は36,814件ですが、中でも10月が15,745件と飛び抜けています。
因みに、2024年は20,513件、2023年は24,348件なので、今年は10月までの時点で既に昨年と一昨年を大きく上回っているのです。

そう言えば、私の郷里でも駅の近くに熊が出現して緊急銃猟されたとか、知り合いの隣の木の登っていたとか、身近なところでもそういう話が聞こえてきます。
ホント、熊の生活圏と人間の生活圏がかなり重複しているなというのが実感されます。

それと、人的な被害だけではなく、農作物や家畜などの被害もあります。
特に、農作物については、熊以外にも、猪とか鹿による被害も多いのですが、そこに熊もエントリーしてきたワケです。

まぁ、熊の個体数の増加や人里への出没数の増加の原因は色々と言われていますが、里山が無くなった、或いは、変わってしまったたことが一番大きいような気もします。
人間のエリアと山の動物のエリアに間にあってある意味で「火除け地」的な役割を果たしていたゾーンの消失や変質が大きいような気がするのです。

で、今年の漢字が「熊」であることには大いに納得ですが、実は、私としては、他の漢字を予想していました。

それは、「高」でした。

米を始めとした物価”高”、日本初の女性総理大臣”高市”さんで、「高」かなと(笑)
ただ、「高」は4位だったようで、自分ではイイ線行っていたかなと思っていました、カスってもいませんでした(笑)

因みに、2位は「米」で3位は「税」となっていますが、この二つも納得ですね。
又、「熊」と「米」は僅かに180差だったそうで、熊が頭差で勝った感じでしょうか。

因みに、「熊」が選出されたのは今回が初です。
動物では2003年の「虎」に続く二度目ですが、今年は阪神タイガースが優勝しても「虎」にはなりませんでした。
それだけ、「熊」のインパクトが強かったワケです。

ただ、これはめでたい意味でもポジティヴな意味でもありません。
なので、来年は、明るい気分で「今年はそうだったよね!」と思えるような漢字になって欲しいと心から思う次第です。
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2025年12月11日

ワーナーの買収

今日、会社帰りは凄く強い風が吹き荒れていました。
しかし、この風は、北風ではなく、なんと南風(笑)
と言っても、温かくはありませんでしたが、ただ、冷たくもなく、変な感じでした(笑)

さて、先日、エンタメで大きなニュースがありました。

それは、NETFLIXがワーナーを買収するというニュースです。

いやぁ、これには驚かされましたが、これまでも20世紀FOXがディズニーに買収されたりとか、ディズニーとソニーが提携したりとか、業界の大きな再編はありました。
しかし、NETFIXワーナーというのはとんでもない組み合わせでしょう。

尚、正しくは、NETFLIXに買収されるのは、ワーナー・ブラザースと配給部門のHBO Maxであり、CNNディスカバリーを含むケーブルチャンネルビジネスは含まれません。
要するに、劇場配給部門と配信部門が買収されるワケですが、これは非常に大きな再編となるでしょう。

で、今回の発表にあたり、NETFLIXはワーナーの映画やテレビ作品のライブラリを入手することにより、ユーザーの選択肢を更に拡大出来ると強調しています。
又、長年にわたるワーナーのノウハウから、スタジオとしての機能を強化してアメリカにおける製作能力を強化出来るほか、オリジナルコンテンツへの更なる投資や雇用の創出が可能になるとしています。

まぁ、ユーザーとすれば、作品の選択肢が増えて喜ばしいこととは思うのですが、従来であれば劇場公開されていたであろう長編映画が、その機会を失うことになる可能性があるのではないかという不安があります。
たとえ劇場公開されたとしても、上映期間が短縮され、早々に配信に回されてしまうのではないかという懸念があるのです。

ただ、NETFLIXはHPのNETFLIXのワーザー・ブラザースの買収についてというページで、Q&Aの形式でこういった不安の声に対する回答を公開しています。
その中で、「ワーナー・ブラザース自体は引き続き別事業として運営される」とありますので、映画製作はこれまで通り継続されるのでしょう。

しかし、これも鵜呑みには出来ない気がしますし、遅かれ早かれ配信偏重のビジネススタイルに移行するようになるかもしれません。
又、映画の公開がどうのこうのという以前に、NETFLIXの介入によって、製作のスタイルや方向性が変化することも考えられます。
その良い例が、Disneyの傘下に入ったMARVELSTAR WARSであり、配信を含めて数多くの作品が製作され、それが質の低下を招いたという批判も少なくありません。

ただ、逆に、多くの作品を観ることが出来て嬉しいという声もあります。
又、製作予算が増えるとか、時間を掛けられるとか、作品にとって良い方向にシフトするということだってあり得ます。

因みに、私が非常に気になっているのがDCです。
DCユニバースの映画が劇場ではなく配信に直行してしまうのではないかという不安です。

ただ、今回の買収について、DCスタジオのジェームズ・ガン監督は「劇場での共同体験は非常に重要であり、我々の大作スペクタクル映画に極めて適している」とコメントし、DCの映画が引き続き劇場公開されることを約束しました。
って言うか、ジェームズ・ガン体制のDCユニバースの映画は、今年のスーパーマンで幕を開けたばかりですし、2026年にはスーパーガールが控えています。

又、DCは配信でもピースメイカークリーチャー・コマンドーズを公開し、2026年は「ランタンズ」が予定されています。
そして、ガン監督と共同経営者のサフラン氏は「より大きな企業レベルの動きに我々の計画を変更させるつもりはない」と表明していますが、この言葉は頼もしい限りです。

ところが、今日、この買収劇にまた新たな動きが報じられたのですが、なんとパラマウントがNETFLIXよりも高い買収額で待ったをかけました。
尚、アメリカでは、一部の市民から「もしワーナーへの買収が実現した場合、NETFLIXが大きくなり過ぎて競争が働かなくなる。そして値上げなどが起きて消費者のサービスの質が低下する」という訴えがあり、一部の市民が買収差し止めの訴訟を起こしているそうです。
そういった背景を基にパラマウントが敵対的買収に乗り出して来たというワケです。

しかも、トランプ大統領がパラマウント寄りであるとも報じられました。
トランプ大統領はCNN嫌いとして知られていますが、そのCNNの傘下にあるワーナーの買収について、トランプ大統領は「いかなる取引であってもその一部として確実に含まれるか、あるいは別途に売却されることが保証されるべきだ」と発言をしています。
これは、CNNを不要とするNETFLIに否定的な考えを示した形であり、CNNも買うと公言しているパラマウントに肩入れするではないかと予想されています。

というワケで、この買収劇、今後の展開に要注目ですね。
しかし、いずれにしても、映画がしっかりと劇場で公開され、それとは別の魅力を持った配信作品が作られていくことを期待したいと思うのです。

って言うか、いずれこの買収劇を映像作品化してはどうでしょうか(笑)
サスペンスでもコメディでも面白くなるような気がします(笑)
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2025年12月10日

ファミリーと翔平の復活

一昨日に発生した震度6弱の青森の地震ですが、その後に後発地震注意情報というものが発表されました。
尚、この「後発地震注意情報」は、三陸沖や北海道の太平洋側の沖合(日本海溝・千島海溝沿い)の領域では、マグニチュード7クラスの地震(先発地震)が発生した後に、更に大きな地震(後発地震)が発生した事例が確認されていることから、この領域でマグニチュード7以上の地震が発生した場合に、北海道・三陸沖後発地震注意情報を発表して、後発地震発生への備えを呼びかけるというものです。
恐らく、今回が初めての運用だと思いますが、後発地震は勘弁して欲しいと切に願います。

さて、12月7日の日曜日に放映された日曜劇場ザ・ロイヤルファミリーの第9話鐙〜あぶみ〜

ラス前のエピソードとなりましたが、今回はチーム・ロイヤルを襲った大きなアクシデントが描かれました。

尚、ロイヤルファミリーは、休養明けに3連勝し、その後の重賞レースでも賞金を加算し、初めてGTレースの「天皇賞(秋)」に出走しました。
しかし、そのレース中、騎乗していた野崎翔平が落馬してしまい、ファミリーは競走中止になってしまいました。

落ちた翔平は左足のくるぶしの骨折で全治4か月、ファミリーも同じく左脚を骨折して完治まで約半年が見込まれる重傷で、人馬とも長い療養を余儀なくされることになりました。

落馬、骨折。これは競馬には付き物のアクシデントではありますが、関係者だけでなく観戦している者にとっても悲痛な事故です。
競走馬の骨折は程度が酷くて予後不良と診断されると安楽死処分になったりしますし、騎手も怪我による長期離脱だけではなく再起不能や最悪の場合は命を落とすこともあります。
なので、私はレースが始まる前に先ず「全人馬とも無事で!」と祈るのが習慣になっていますが、これは多くの競馬ファンも同様でしょう。

で、骨折が癒えたファミリーでしたが、右目に炎症を発症していることが判りました。
それに気が付いたのは野崎の親父さんでしたが、歳を取って体が動かなくなっても、そこはさすがに頼りになるベテランです。
尚、ファミリーの右目は、角膜の中間層に膿が貯まる「角膜実質膿瘍」というもので、何らかの原因で角膜に傷が付き、傷自体は治ったものの、内部で細菌や真菌が増殖した状態だと獣医師が説明していました。

そして、ファミリーは薬物療法を施されていましたが、炎症の軽減が見られない状態が継続しており、獣医師からは最悪の場合は失明の可能性もあると言われていました。
又、獣医師によると、角膜を移植する方法はあるものの、日本には馬の角膜の移植が出来る医師がいないということでした、

で、調教師の広中は、天皇賞のレース中に前の馬が蹴り上げた土が右目に当たったことが落馬の原因だったかもしれないと推察していましたが、確かに目に土が当たって驚いたファミリーがバランスを崩し、それで翔平が落ちてしまい、ファミリーも急に減速したために左脚を骨折したのかもしれません。
落ちる瞬間の映像が無かったので詳しい状況は判りませんが、ただ、そんな不幸な映像はフィクションのドラマでも観たくはありません。

あと、広中は片目を失明してもレースに出走することは出来ると説明していましたが、実際にそういう競走馬はいました。
古くはキョウエイレアとかニシノチャーミーとかウインジェネラーレとかルーベンスメモリーとかグルメサンシャインとか、中には片目を失明した後も好成績を収めた馬もいます。

しかし、ファミリーの最大目標は右回りの中山で行われる有馬記念であり、右目を失った馬が走るのには難しいコースです。
そこで、広中は、ファミリーの引退も考えてはと進言するのです。

そして、もう一つは、ジョッキーの問題です。
落馬での骨折は完治したものの、復帰後の翔平は勝てないばかりが入着すら出来ない状況が続いていました。

で、そんな状況に誰よりも焦りを抱いているのは翔平自身です。
そう言えば、翔平は以前に耕一に「自分もをノザキ背負っている」と言っていましたが、翔平はそんな責任感で自分を追い込んでいるようにも見えました。

尚、怪我から復帰したアスリートが以前のように活躍出来ないというケースはよくあると思いますが、それは非常に繊細な「狂い」によるものなのでしょう。
怪我によって関節の柔軟性や可動域が変化したりとか、本当に微妙な違いによって、以前のようなパフォーマンスが出来ないということは往々にしてあると思われます。
しかも、翔平の場合はくるぶしの骨折でしたからね。騎乗の要となる足の怪我は、ジョッキーにとっては大変な問題なのです。

そう言えば、今回、ドラマの冒頭で、故障から復帰した馬と騎手ということで、トウカイテイオーと北村友一騎手の映像が紹介されていました。
トウカイテイオーは3度目の骨折の後に1年間の休養明けでぶっつけで勝った1993年の有馬記念の映像が、2021年に落馬事故で1年に及ぶ休養を余儀なくされた北村騎手はクロワデュノールの騎乗して勝利した今年のダービーの映像が、それぞれ使われていました。
これには思わずジーンとしてしまいましたが、競馬にはそういう「復活」という胸を熱くするドラマもあるのです。

それと、耕一が栗須にファミリーの今後について相談する場面がありましたが、この時の台詞がなかなか興味深かったですね。
「馬の幸せって何だと思いますか?」と栗須に問い掛ける耕一。
「右目を失ってもレースに出られる馬がいる。確かに、競走馬は走る生き物です。でも、ファミリーは、それで嬉しいんでしょうか?」という耕一の言葉は、競走馬そのものに対する根本的な問い掛けのようにも聞こえました。

端的に言ってしまえば、競馬のために生産される競走馬は、走ってナンボの存在です。
又、競走馬は経済動物という言われ方もされたりしますが、それは競馬というスポーツと娯楽の興行のためであり、馬産も含めて大きな経済活動を為しているワケです。

尚、耕一は「ファミリーの引退も考えるべきかもしれない」と言いながらも、「ファミリーが生涯不自由なく暮らし続けられるだけの賞金を稼ぐことが僕の最低限の目標です。それが僕なりに考えた馬の幸せだから。でも、それも走らないと稼げない。走らなきゃいけないんですファミリーは」語りました。
そして、「これって、人間のエゴなんですかね。僕のエゴに付き合わせているだけなんでしょうか?」と逡巡する耕一。

そもそも、ファミリーは耕一の希望によって交配させられて誕生した馬です。
その命に責任を持つのはオーナーとしての責務でしょうし、耕一はその自覚と覚悟を改めて問われていると言えるかもしれません。

そんな時、競馬記者の平良の尽力によって、ファミリーの角膜移植が出来る日本人医師がパリの大学にいることが判りました。
これで、ファミリーの完治に一縷の希望が持てることになります。

その厩舎からの帰り道、「先日の話ですが、私も昔、同じようなことで悩んだことがあるんです」と耕一に打ち明ける栗須。
「でも、出会ったばかりの社長にこう聞かれたんです。馬は自分が勝ったことを理解していると思うかって」と、かつて耕造に言われた言葉を耕一に伝えました。
それは、「俺は判っていると思うよ。誰も前を走ってない、誰もまだ踏み越えちゃいないゴールを、真っ先に走り抜けるんだ。馬だって気持ちが良いに決まってるだろ。俺はそれを味わわせてやりたいんだよ」という耕造の言葉でしたが、これこそが耕造ならでは「相馬眼」だと言えるでしょうか。

そう言えば、11月30日に行われたジャパンカップで、アドマイヤテラという馬がスタートで躓いて騎手が落馬してしまったのですが、空馬になったアドマイヤテラがそのまま一緒にレースを走って1着でゴールインするというシーンがありました。
しかも、それは騎手が乗っているのと全く同じレース運びであり、これは「馬はちゃんとレースを判っている」ということや「馬はレースで勝とうとしている」ということを証明したアクシデントだったように思いました。

そして、「私は社長のその言葉を信じたい。ファミリーにもそんな思いを味わわせてやりたい」と思いを吐露する栗須。
「私たちにファミリーの幸せを決めることは出来ませんが、最後まで一緒に考え続けることは出来ます。だから、諦めずにもがき続けましょう」と耕一の背を押すのです。

すると、耕一は「決めましたよ。ファミリーと有馬を目指します」と宣言しました。
そして、耕一は「もし、次、ファミリーが怪我をしたら、その時は僕も一緒にレースを降ります。もし、そうなったら、僕と一緒に考えて貰えますか?未来のこと。ファミリーと生きていく方法を。生きてさえいれば、次の夢を見つけることだって出来ると思うんです」とその覚悟と決意を語るのですが、可能な限り走らせることが馬のためでもありオーナーの使命であるということを自覚したのですね。

更に、耕一は「申し分ないご決断です」と答える栗須に、ジョッキーについても「翔平を変えるつもりはない」と断言しました。
「ファミリーが有馬で勝つということは、ロイヤルに関わってくれた全ての方たちに報いることだと思うんです。そこに翔平くんがいないなんて考えられない。彼を降ろすことはありません」と言う耕一でしたが、そこには力強い意志が感じられました。

いやぁ、このシーンもまた胸アツでしたが、これこそがチームロイヤルですね。
それと、言い方や態度は真逆ですが、改めて耕一と耕造はよく似ていると思わされたシーンでもありましたか。

その後、耕一は、沢渡医師に角膜移植の手術の依頼をするために渡仏しました。
って言うか、この沢渡医師がまた味わいのある良いキャラクターでしたが、市川実日子さんが「日曜劇場」に登場すると何だかホッとします(笑)

それと、耕一が沢渡に父の山王耕造への思いを語る場面がありましたが、ここもまたグッと来る良いシーンでしたね。
「父はこうも言ってくれたんです。馬のことなら俺より判っている。会ったこともなかった父親が、お前ならきっと出来るって」と沢渡に語る耕一でしたが、気付いたかのように「あ、そうか。多分、僕は、そこに縋りたいだけなのかもしれません。有馬記念で勝つっていう父の夢を叶えれば、僕が生まれて来たことに意味が生まれるのかもしれない」と言いました。

きっと耕一は語りながら気持ちや考えの整理が出来たのだろうと思われますが、沢渡はそんな耕一を「あなたはあなたですよ。生まれて来たこと自体に意味があるんです」と諭しました。
しかし、耕一は「でも、僕は胸を張って言いたいんです。あの人の子どもだって。同じ血が流れてんだよって」と答えるのですね。

それで、私は「あぁ、そうか。そうだったのか」と得心したのですが、耕一は耕造を肯定したいのだなと思ったのですね。
父を肯定することは、父を愛して自分を生んだ母を肯定することでもあり、そして、生まれて来た自分自身を肯定することになります。
要するに、耕一は自分自身の「血の継承」を肯定し、誇りに思いたいのです。

そして、耕一は沢渡に「僕がお願いしているのは、治すことじゃないんです。勝たせて欲しいんです。勝つために治して欲しいんです」と言いましたが、沢渡はそんな耕一に「そっくり」と答えました。
実は、沢渡は以前に耕造と面識があり、耕造の馬を診た際に「治せばいいと思ってんだろ!」と怒鳴られたことがあるのですね。
ただ、その後に耕造は続けて「馬は治したいと思ってんじゃねえ。勝ちたいと思ってんだ。馬のためを思うなら、治して満足してんじゃねえぞ」と言ったのです。

言い方や態度は真逆ですが、やはりこの父子はそっくり過ぎます(笑)
で、沢渡も「無茶を言いますね。親子揃って」と言いましたが、お酒があまり飲めない耕一はワインで酔ったらしく、転寝をしていました(笑)
そして、耕一の言葉に心を動かされたのでしょう。沢渡は一時帰国してファミリーの角膜移植の手術を執刀しました。

それと、沢渡は手術前に栗須に「よくやりますね。二代続けて面倒なオーナーで。物好き」と言っていましたが、これは沢渡なりの敬意なのでしょう(笑)
まぁ、栗須本人にも、その自覚はあるのかもしれません(笑)

一方、怪我の後にスランプに陥っている翔平は、以前にロイヤルの主戦騎手であった佐木隆二郎に頭を下げてアドバイスを求めていました。
しかし、隆二郎の答えは「無駄だよ。元には戻らない。諦めろ」でした。
それでも「有馬で勝つためにジョッキーになったんです!諦めません!」と食い下がる翔平に、隆二郎は「誰が勝つことを諦めろって言ったんだよ」と溜息をつきます。

そして、「鐙の位置から変えろ。前のフォームはもう無し。新しい自分を見つけんだよ」と言って立ち去る隆二郎。
そうです。隆二郎は、無理に以前の騎乗フォームに戻すのではなく、今の身体の状態に合ったベストのフォームを探せとアドバイスしたのです。

さすがは百戦錬磨の一流ジョッキー。言うことがいちいち理に適っています。
しかも、これ、「鐙の位置」とか、隆二郎がしっかりと翔平の状態を見てくれていたということが判るのが嬉しいじゃありませんか。

しかし、そんな隆二郎ですが、なんと椎名展之の持ち馬の有力馬ソーパーフェクトから降ろされてしまいました。
そして、代わりに騎乗するのが、外国人ジョッキーのクリストフ・ルメール!
因みに、ルメールさんは今は日本の競馬でビッグレースを勝ちまくってる凄腕のジョッキーで、私もよく馬券でお世話になっています(笑)

そして、ルメールを鞍上に迎えたソーパーフェクトですが、無敗で皐月賞とダービーを制して二冠馬となりました。
目指すは菊花賞も制して無敗の三冠馬になることですが、無敗の三冠馬は長い中央競馬の歴史の中でも僅かにシンボリルドルフとディープインパクトとコントレイルの3頭のみです。
しかし、傲慢な展之は、更に無敗での有馬記念制覇を目指すと自信を見せましたが、同じ年の有馬を目指すファミリーにとって最大の敵となるワケです。

それにしても、隆二郎を降ろしてルメールにスィッチした展之。
何とも軽いノリで、それには椎名パパも苦い顔で「ゲームとは違う」と苦言を呈していましたが、展之は悉く耕一とは対照的ですね。
とは言え、勝つ可能性を高めるための鞍上強化であることは判りますし、そこに旧態依然の義理人情などを挟むことこそ展之が忌み嫌うものでしょう。
しかし、そんな展之をチーム・ロイヤルのラスボスとするには、ちょっとばかり器が小さいように思われるのです(笑)

で、無事に手術を終えたファミリーはノザキファームで療養することになりましたが、野崎の親父は膝を悪くしており、今は加奈子が一人で苦労しているという状況でした。
しかし、日高の牧場の人たちがノザキファームを手伝ってくれることとなり、加奈子には随分と余裕が出来て何よりでした。

尚、その協力者の中には以前に野崎に批判的なことを言った人もいましたが、彼らもこれまで孤軍奮闘で頑張って来た野崎を認めているのですね。
そして、ロイヤルホープに続くロイヤルファミリーは今の日高の希望の星であり、それを支えることが日高の目標となったのです。
いやぁ、この展開にも思わず涙でしたが、ロイヤルファミリーとは、もはや日高を含めたチームになったと言えるでしょう。

そして、天皇賞の落馬から約7ヶ月、完治したファミリーと騎乗フォームを改造した翔平が、育成牧場で復帰のための最終テストに臨みました。
尚、久し振りにファミリーを見て「一回り大きなってない?」と驚く広中に、加奈子が「思いっ切り甘やかしたの。日高の皆で一杯甘やかしたら、何か大きくなっちゃった」と答えたのには笑ってしまいましたが、ファミリーはチーム・ロイヤルだけでなく日高の夢と希望と愛情を受けてまるまると太ってしまったワケです(笑)

で、ここにロイヤルファミリーと野崎翔平のコンビが完全復活しました。
しかし、ファミリーがその年の有馬記念に出走するためには、少なくとも重賞を勝つことが最低条件となります。
そうでないと賞金額も足りませんし、ファンの印象に残らなければ投票もして貰えません。
なので、チームロイヤルの前には、まだまだ試練と難関が待ち構えているのです。

それと、今回、ようやく栗須と加奈子が結婚することなりましたね!
栗須のプロポーズを加奈子が保留にしてから早や8年。加奈子は「10年でも20年でも待てる」と言っていましたが、そんな加奈子が遂に「私たち結婚しよっか」と言ったのです。

そう言えば、今回の冒頭で、広中と耕一と平良が「結婚しないのか」と栗須を弄っていて、それには思わず笑ってしまいましたが、それはフラグであり、こういう幸せなオチが待っていたワケです(笑)
「今、この景色も、これから起きる色々なことも、私はあなたと家族になって迎えたいって、そう思ったの。だから、結婚して欲しい。言ったでしょ。私が決めるって」と加奈子は言いましたが、ファミリーと翔平の人馬揃っての復活が加奈子をそういう気持ちにさせたのかもしれませんね。

ともあれ、栗須、おめでとう!
苦節8年。いや、学生時代の元カノですから、20年くらい経っているのでしょうか(笑)
このドラマの一ファンとして、心よりお祝いを申し上げる次第です(笑)

そして、そんな良質なドラマも、次回が最終回となります。
このままだと無敗での三冠と有馬制覇に自信を見せる展之のソーパーフェクトが最大の敵になりそうですが、ひょっとすると隆二郎が騎乗した椎名パパの馬がその前に立ち塞がるのかもしれません。いや、そうなって欲しいです(笑)

しかも、その馬はロイヤルホープの仔とかロイヤルと関わりのある馬だったりすると更に胸アツなのですが、ソーパーフェクトはせいぜい中ボスのポジションで、椎名パパの馬がラスボスであって欲しいと強く思います(笑)
って言うか、あのチャラくてクソ生意気な展之は、一度、徹底的に鼻っ柱を折られる必要があると思うのですね。そして、その役割を果たすのは椎名パパであり、こちらにも血の継承のドラマを見せて欲しいと思うのです(笑)

ともあれ、次回の最終回を刮目して見届けたいと思います!
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2025年12月09日

傀儡好きの最期

昨日発生した青森の最大震度6強を記録した地震ですが、被害も報じられていますね。
怪我人やインフラ被害や建物被害があったのは残念でしたが、それでも死者が出なかったのは幸いだったかなと思います。

さて、一昨日に放映されたNHK大河ドラマべらぼう 蔦重栄華乃夢噺の第47話饅頭こわい

ラス前となった47話ですが、二重三重に張られた伏線、決着の付け方、人物設定の意外さに、改めて度肝を抜かれた回でもありましたか。
又、今回は、紆余曲折がありながらも、稀代の傀儡使いであるラスボス・一橋治済の成敗に成功したワケですが、それがある意味で総力戦であったところがまた熱かったですね。

で、前回、蔦重の前に現れた治済とうり二つの男。
思った通りこの男は治済の替え玉として用意された人物だったワケですが、その名前がなんと斎藤十郎兵衛!

いやぁ、これには驚かされましたが、斎藤十郎兵衛とは、今では写楽の正体として定説になっている阿波蜂須賀家の能役者です。
尚、このドラマでは、写楽については絵師や戯作者たちによるプロジェクトということになっていますが、ここで斉藤十郎兵衛を、しかもこういう形で登場させるとは!

で、斎藤は芝居町で大崎を探していた長谷川平蔵に見つかったワケですが、44話で平蔵が見かけて「嘘だろ」と追い掛けたのが斎藤だったワケですね。
能役者であれば芝居町を歩いていたのも頷けますが、その段階でまさかそっくりさんだったとは、お釈迦さまでもお気が付きますまい(笑)
あ、そう言えば、治済と思しき人物が、看板娘の見物とか耕書堂に並んでいたことがありましたしが、あれも治済ではなくて斎藤であったのかもしれませんね。

それと、柴野栗山も斎藤を知っていたようですが、そう言えば、栗山は讃岐の生まれであり、徳島藩(阿波)に仕えていた人物でした。
そして、徳島藩主の蜂須賀重喜と共に江戸に赴いて徳島藩当主の侍読に就任し、松平定信から呼び出されて幕府に仕えるように勧められたという経緯があります。

実は、正直なところ、私は栗山がこの治済討伐組に居る理由にピンと来ていませんでしたが、なるほど、これでよく判りましたし、すとんと腑に落ちました(笑)
又、栗山は「初めてあの方(治済)に拝謁しました時、私は夢の中におるのかと思いました」と語っていましたが、確かに栗山は治済の顔を見た時、しばし、その顔に見入っていたことを思い出しました。

「事故や拐かしに見せかけ、傀儡好きを亡き者とすれば大騒ぎとなるが、替え玉がおれば避けられる。斎藤殿がおった故に、我らは仇討ちに踏み切れた」と蔦重に説明する定信。
そして、平蔵も「しかし、一橋様の癖や好みを教えたり、様々な取り繕いは要る。その役を任せることと引き換えに、大崎もこちらに引き込んだのだ」とその理由を明かしました。

尚、定信は大崎を捕らえた後、斎藤と引き合わせ、その替え玉計画を打ち明け、「入れ替える前、最中、そして、その後、助けてはくれぬか?」と大崎に要請していました。
大崎を脅迫して利用していたワケではなかったと知ってホッとしましたが、確かに、その役は大崎にうってつけの役です。

そこで、蔦重は定信からその傀儡好きの正体を明かされますが、その人物が将軍の父である一橋治済と聞いて驚き、「それは謀反にございませんか!?」と定信に問いました。
確かに、現将軍の父を成敗するというのは謀反とも言えますが、ひょっとしたら義による仇討ちと確信している定信はそうは思っていなかったのかもしれません。

又、蔦重は「斎藤様はよろしいので?替え玉って・・・」と十郎兵衛に尋ねましたが、十郎兵衛は「越中守様が蜂須賀家の殿と話しを付けられ、主名として替え玉となるよう命じられた」と説明しました。
既にその辺は定信が調整済だったというワケで、この「替え玉プロジェクト」が他藩をも巻き込んだかなり大掛かりなものだったということが判りました。

尚、これは蜂須賀家にとっても、お家の命運を賭けた協力であって、蜂須賀須家には後々特別な計らいなどが約束されているのでしょう。
そして、そういった背景があれば、十郎兵衛の身の上も守られるということになります。
ただ、「そもそも、この方々に言われ、私に断れるワケがなかろう」と斎藤は蔦重に言いましたが、ある意味で、斎藤も定信たちの傀儡であると言えるかもしれません。

それと、「企みは露見されたのでございますよね。まさか、しくじった時のお考えもなく?」と詰め寄る蔦重に、定信は「しくじりなど考えてはかようなことはやれぬ!」と開き直っていましたが、この男、本当に何も考えていなかったのかもしれません(笑)
偽の戯作で治済に筆跡がバレてしまったりとかもありましたし、これにも「詰めが甘いぞ!そういうとこだぞ定信!」と思ってしまいましたね(笑)
と言っても、まさか毒饅頭で反撃を喰らうとは、思いも寄らなかったことでしょう。

で、蔦重は定信の忠告もあって、暫く店を閉めて身を潜めることにしましたが、毒饅頭を食べて吐いたみの吉が、毒を完全に吐き切っていなかったと見え、倒れてしまいました。
そんな状況に「あの時、写楽をやろうなどと言わなければようございました!」と悔やむていに、蔦重も「そもそも、のこのこ釣られた俺が悪い」と言いましたが、この二人にとっては奉公人を巻き込んでしまったというのが最大の後悔でしょう。

「諦めるしかないのでしょうね。これが浮世なのだと・・・」と弱気になるてい。
蔦重も「今は嵐が通り過ぎるのを待つしか出来ねえ。店、閉めて、食いもんには気を付けて・・・」と慎重にならざるを得ません。
しかし、ここで、女中のたかが「勘弁して下さいよ!いくら気を付けたって、井戸に毒なんか入れられたら、ひとたまりもありませんよ!気を付けるにも限度があるってんです」と声を上げました。

更に、たかは「お嬢様も、諦めるって何です!?奉公人の身を危うくして、それでも女将ですか!」とていを𠮟りつけました。
尚、たかは「丸屋」の頃から、それこそていが子どもの頃から女中として奉公してきた、ある意味で乳母のような存在なのだろうと思われます。
なので、たかの厳しい言葉は、乳母なればこその愛ある叱咤激励だったのかもしれません。

又、他の奉公人たちも、命の危険に怯え、店を辞めたいと言い出しました。
いつ毒を盛られるか判らない。火付けだってあるかもしれない。そんな大きな不安に苛まれてしまった奉公人たち。
今、耕書堂は、身上半減など到底及ばない最大の危機に瀕してしまったワケです。

すると、ここでみの吉が「うっかり毒饅頭食わねえですかね、そいつ・・・」と苦しい息の中でボソッと言いました。
「仕込んだ奴が・・・、うっかり食ってポックリってなぁ・・・、面白くねえですか・・・」と続けるみの吉に、「そうだな。毒饅頭か・・・」と答える蔦重でしたが、これが最大のヒントになったワケです。

尚、私、そのみの吉の台詞を聞いて、「勇者ヨシヒコ」に登場したナイフ使いの盗賊を思い出してしまいました(笑)
この盗賊は毒を塗ったナイフを使うのですが、華麗なナイフ捌きを披露した後、調子に乗ってそのナイフを舐めてしまい、呆気なく死んでしまったのです(笑)

それはさておき、計画に失敗してしまった定信ですが、治済と老中たちに呼び出され、芝居町の曽我祭りに興じた家臣の多くが”食あたりで死んだ”ことを咎められました。
「質素倹約や風紀粛清を叫んだ本人の家中がこれか」「公儀はもはや笑いものとされている」「大名の中にはこのような恥さらしはけじめをつけるべきという声もある」などともう散々な言われ様でしたが、挙句に定信は治済から「隠居」を勧められてしまいました。

しかも、「ご容赦を。嫡男太郎丸は4つでございますし!」と拒む定信に、治済は「では、当家から世継ぎを使わそう。太郎丸が大きくなるまで」と恐ろしいことを言っていましたからね。
この男、これを機に白河松平家まで一橋の血脈で染め上げようようとしていましたが、いやいや、機を見るに敏というかその如才の無さはさすがと言うべきでしょうか。

更に、治済は「確か、松前殿には、遊興を理由に隠居を申し付けておったなぁ」とロシア船が蝦夷の来た時の子とに触れ、二の句を告げられぬ定信の頭や顔を扇子でぺちぺちと叩きながら、「聖人君子でも、我が身は可愛いものよの」とキツイ皮肉を浴びせました。
これには定信もはらわたが煮えくりかったことでしょうが、観ている私も「治済、えめえ!」と憤慨していました(笑)

で、怒髪天を突いた定信は「あやつが殿中を通りかかるのを狙い斬りかかる!」と刃傷に及ばんとしていましたが、さすがにそれは平蔵と栗山に止められます。
それはそうです。殿中で刀を抜けば死罪ですし、いくら定信が差し違えると言っても、それでお家は取り潰しになり、一族郎党がが路頭に迷うことになります。

それでも「この辱めに耐えよと言うのか!」と収まらない様子の定信でしたが、そこに蔦重が飄々とやって来ました。
「本屋の相手をしている暇はない」とイラつく定信に、「まぁ、そう仰らず。何せ、暇なもんで。どなた様かの不手際で、店を休むことになりまして」と、蔦重も皮肉を忘れません(笑)

そして、蔦重は「ちと思い付いたのですが、傀儡好きに毒饅頭を食わせるってなぁ、いかがにございましょう?」と切り出しました。
「毒饅頭の仇は毒饅頭で取るってなぁ、こりゃ、なかなか頓智が利いておりますかと。こう、うっかり、ぱくっと食わせちまって」と言う蔦重に、定信は「ふざけるのもいいかげんに!」と怒鳴りつけようとしましたが、蔦重は「と仰られても、ふざけんのは私の分にございますんで」とキッパリと答えました。
更に、「あぁ、確か、きっちり、分、努めてりゃ、良い世が来るのではございませんでしたっけ?」と皮肉を重ねる蔦重。
いやぁ、観ているこちらも蔦重の容赦のない嫌味に冷や冷やしてしまいましたが、まぁ、蔦中には定信に言いたいことが山ほどあるのでしょう(笑)

すると、ここで栗山が「毒饅頭をうっかり食わせるとは、これ、如何にして。一橋の奥女中でも抱き込み、仕込ませるのか?」と質問を挟みました。
で、蔦重は「いや、それじゃあ奥女中の首が危ない。これ以上、死人が出んのはいただけません」とした上で、「お一人だけおられましょう。誰にいくつ毒饅頭を食わせても許されるお方が」ととんでもないことを言い出しました!

そうです。蔦重は将軍・家斉を使って治済に毒饅頭を食わせたらどうか?と言うのです。
そして、その蔦重の突拍子もない発言に、定信も「然様なことが出来るワケがなかろう!」と声を上げます。

しかし、蔦重は「けど!こりゃ、上様の分にございます」と断じました。
「上様ってなぁ、この世に太平をもたらすためにいらっしゃる。太平を乱す輩がいんなら、毒饅頭食らわすのが上様の務め、分だ」と言う蔦重。
「私らには分を分をって仰いながら、天下を治める公方様が、己の分には知らん顔ってなぁ、こりゃ、道理が通らないってもんじゃございませんか?」と正論をぶつけるのです。

で、その公方様こと将軍家斉ですが、彼もまた大奥の女性たちが自分と添うことを恐れているということを知らされました。
「上様と添えば家基様に祟られる」と恐れて震える大奥の女性たち。以前に家斉自身が子が育たなかったりするのは家基の祟りだといって法要を営もうとしていましたが、改めてそれが大奥にまで広がっているという現実に直面したワケです。

そして、定信は家斉と話すことが出来る人物を探し、清水重好に白羽の矢を立て、仇討ちへの協力を要請していました。
因みに、清水重好は、御三卿の一つ清水徳川家の初代当主であり、先代将軍家治の実弟にして家基の叔父にあたる人物です。

尚、重好はかなり体調が悪そうでしたが、定信に「丁度、兄上と甥に冥途の土産をと思っておったところだ」と告げました。
「あの日より、ずっと仇を討てぬ己が不甲斐なく・・・」と溢す重好に、定信が「あの日、とは?」と尋ねると、重好は定信に先代将軍家治の最期の状況を語って聞かせるのです。

それは、家治が「天は、天の名を騙る奢りを許さぬ!」と治済に命懸けで忠告してこと切れた壮絶な場面のことでした。
で、それを聞いた定信は「なんと、先の公方様自ら然様なお言葉を」と驚きましたが、「上様を傷付けぬためか、錯乱を装われておった故、意味は取り難かったが」と言いながらも、重好はその時に兄と甥は治済の企みによって死に追いやられたと確信したのでしょう。

それと、定信は、まだ幼かった家斉がその場に同席していたことを知りました。
「ご幼少におわした故、覚えておらぬかもかもしれぬが」と重好は言いましたが、「その時のことを上様に思い出して頂ければ・・・」と定信はその一点に一縷の望みを託すのです。

って言うか、ここで清水徳川家が参加しますか!
そういう点では、この仇討ちは「一橋徳川家VS田安徳川家&清水徳川家」という徳川御三卿による戦いになるワケですが、このタイミングで清水が入るのは胸アツです!

そして、重好は家斉の側室の逝去のお悔やみという口実で家斉に面会する機会を作りましたが、そこで重好は「亡き公方様が私の夢枕に立つようになりまして。亡き公方様、そして、西の丸様の無念を晴らすと、物騒なことを仰せで」と言いました。
これは家基の祟りに怯えている家斉に対しては効果的で巧い口火の切り方だと思いましたが、そこにお邪魔虫の治済が割り込んで来て、清水に肝心な話をさせないようにしました。
ホント、この用心深さには感心してしまうほどですが、それもまた稀代の傀儡使いたる所以なのかもしれません。

で、結局、重好は家斉に肝心の話をすることが出来ず、しかも、「今後の当家の家督についてご相談し申してはどうだと越中に勧められたのもございまして」と言い訳し、そこで定信の名前も出してしまいました。
それを清水の使いの者から聞いた定信は激怒しましたが、話の核心に入ることは出来なかったにせよ、実は重好は結果的に大きな効果を上げていたと言えます。

それは、家治と家基の祟りを強調して家斉の恐怖心を煽って追い詰めたこと、又、「家督の相談」という今後も関わりが持てる話題を共有出来たこと、そして、もう一つが、改めて「法要を」と懇願する家斉に対して治済に「おいたわしや、もはや中納言様は、夢か現もお判りにならぬように」と言わせたことです。
「夢か現もお判りにならにように」。これはまさに今回の最重要なキーワードと言えますが、これが家斉の遠い記憶を呼び起こしたのです。

で、清水の使いに対して「これでは全てが台無しではないか!」と怒り心頭の定信でしたが、そこに「まこと、ご苦労に存じましたとお伝えくださいませ」と蔦重がシレッと入って来て、使いの者に心づけを渡し、その場から退席させました。
断りもなく割り込んで来た蔦重に定信は「うぬはたたっ斬られたいのか!」とブチ切れそうになっていましたが、蔦重は涼しい顔で「物事なんてそう思った通りに運ぶワケじゃございませんでしょう」と言いました。

「国が治まると思って凧上げちまった人をたたき斬ったって、何の意味もねえ。それならそれで、どう立て直すか。それこそが、事を収める腕ってもんじゃございませんか」と諭すように語る蔦重。
確かに、それは現代の会社や組織などにも通じることですが、そこが経営者や管理職の手腕が最も問われる部分でしょう。

それと、清水の使いに対する二人の対応の違いは、上級の武士と一介の商人という違いもあるのでしょうが、定信の態度は、今回の仇討ちにおける清水を協力を断ち切ってしまうものになりかねないリスキーなものです。
一方の蔦重は、成否の結果は別にして、その労にきっちりと応えるというものであり、それが正道であるとも言えるでしょうか。
ホント、そういうとこだぞ、定信(笑)

すると、そこに平蔵がやって来ましたが、平蔵は大崎殺しの証拠を探しているようです。
しかし、なかなかその証となるような物は出て来ず、確かなのは、大崎が傀儡好きの他に遣り取りしていたのは、蔦重が最後だったということでした。

あの曽我祭の日、連れ立って耕書堂にやって来た治済と大崎。
そして、治済が購入した2枚の写楽の役者絵の代金を支払う際、大崎は「釣りはいいので」と言って代金を入れた紙包を蔦重に渡したものの、なかなかその手を放さず、しかも、目で何かを訴えていました。
「釣りは要らぬ。その割に・・・」とその時の大崎の様子を思い出した蔦重は、それが大崎からの何らかのメッセージであることに気が付いたものと思われます。

そして、その時の紙包が栗山から家斉に届けられました。
尚、その紙包は実は手紙であり、そこには大崎の遺言がしたためられていたのです。

「上様、お久しゅうございます。とは申せ、お手元にこれが届いた時には、私はこの世におらず、地獄への道中を歩んでいることと存じます。人を殺めてきたからにございます。先の公方様、家基様、田安治察様、右近将監様、名も知らぬ数多の民、女子供、関わり方は様々ですが、全てはお父上様の指図でございました」と、そこにはこれまでの悪事が赤裸々に綴られていました。
因みに、右近将監とは白眉毛こと松平武元、数多の民と女子供というのは葵小僧の被害者たちのことを指すのでしょう。

その文を読んでかつての記憶を思い出す家斉。
それは、「悪いのは・・・、父だ。全て・・・、そなたの父だ・・・」という死の間際の家治の言葉でした。

ただ、その時、家治はその前に「許せ、家基!」と言っているのですね。
なので、「父」とは家治自身を指すのだろうと思っていましたが、実はそうではなく、「家基」は「家斉」の言い換えであり、「そなたの父」は文字通り家斉の父の治済のことを指していたワケです。
いやぁ、これには驚いてしまいましたが、あの壮絶な家治の死は、まさに治済に対する必殺の仕置きの一手だったかと震える思いがしました。

で、大崎の文には、更に「お父上様は、生身の人をまるで傀儡のように操ることがお出来になる比類なき才をお持ちにございます。あのお方は天、この世の者は、皆、傀儡。私も傀儡。ご無礼にはございますが、上様こそ、最たる傀儡にございます」と綴られていました。
そして、その文は「上様、どうかお父上様の悪行をお止め下さいませ。あの方を止められるのは、この世に上様ただお一人。上様しかいらっしゃいませぬ」という切迫した懇願の文章で締め括られていました。

尚、栗山はそれは本当に大崎が書いたものかどうかは判らないと言いましたが、家斉は「これは大崎の字だ。幼き頃より何度も見た乳母の字だ・・・」と断言しました。
更に、「もし、大崎の書いたものでなくとも、余は知っておる。ここにあることはまことだと。とうの昔から・・・」と家斉は言いましたが、家斉は全てを思い出し、抱いていた疑念の答えに確信を得たのです。
って言うか、筆跡で定信の企みを見抜いた治済が、大崎の筆跡でその悪事を明るみにされ、家斉に確信なさしめるという対比的な展開には、ホント、痺れましたね。

で、大崎の手紙を読み終えて、「余はいかにすべきであろうか?」と栗山に問う家斉。
これで、蔦重のプランに必要な最後のピース、しかも、将軍という最強で最大のピースが嵌ることになりました。

それにしても、大崎、その所業は許されませんが、彼女もただ乳母として、家斉の幸せを思ってこその自己犠牲だったのでしょう。
結局は治済の傀儡として利用され、その手を血で染めて来たワケですが、今回、そんな負い目が家斉の中に生まれたのかもしれませんね。

そして、清水家の家督の相談のために家斉と治済は重好の屋敷に赴くことになりましたが、いよいよ作戦決行です。
体調不調で出向くことが出来ないという理由で重好は家斉と治済を清水の屋敷の茶室に招くのですが、その茶室で毒を盛るというのが定信たちの作戦でした。

それを蔦重から聞いた三浦庄司は「上様と清水様で上手く出来るか」と心配していましたが、蔦重の言う通りそこは信じるしかありません。
って言うか、私はここで蔦重が三浦に「お前はスパイだろ。判ってんぞ」的な匂わせを言うのかと思いましたが、それはなかったですね(笑)

そして、その茶室のシーン。
ホント、この一連のシーンはドキドキしながら観ていましたが、茶菓子ではなくお茶に毒を仕込んだというのは納得でしたね。

尚、用心深く警戒している治済は出された菓子には一切手を付けず、自分の分も家斉に食べさせましたが、この男、息子を毒味に使ったワケです。
まぁ、菓子の場合は部分的に毒を仕込むことが可能ですし、その部分を切り分けて食べさせることが出来ます。
それにしても、本当に美味しそうに菓子を食べる家斉のもぐもぐタイムは、何だかとても微笑ましかったですね(笑)

で、続いて重好は一つの茶碗を回し飲みする濃茶を点てるのですが、菓子と違って茶は液体なので、家斉が飲んだなら大丈夫だと治済は思ったのでしょう。
家斉が飲んだ後に治済も茶を飲み干しましたが、実はそこに毒が仕込まれていたのです。

治済が茶を飲み干した後に、突っ伏して昏倒する家斉。
それを見て「まさか・・・!まさか、もろともに!」と狼狽する治済でしたが、治済もまた苦しみ出し、「おのれ・・・!」と言って倒れてしまいました。

尚、その様子を眉一つ動かさずに冷徹に見ている重好の表情が印象的でしたが、毒入りの茶を提供する際に動揺すら見せないポーカーフェイスが功を奏したとも言えるでしょうか。
いや、重好のあの無表情は、鬼畜外道に対する憐みの表情であったのかもしれません。

そして、重好の合図で待機していた定信や平蔵や十郎兵衛が茶室に入って来ます。
ただ、茶に仕込んだ毒は、命を奪うことのない眠らせる毒であり、眠らせた後に治済と十郎兵衛を入れ替えるという作戦でした。

それを蔦重から聞かされた三浦は「眠らせた後に始末するのか?」と問いましたが、蔦重は「殺さねえで、阿波の孤島に閉じ込めることになってます」と説明しました。
「殺さぬのか?」と意外そうな三浦に、「お武家様は平気なのかもしれませんが、私には、てめえが企んだことで人が死ぬってなぁ、どうもあれで」と答える蔦重。
そして、蔦重は「栗山先生が、”どれほど外道な親であっても、親殺しは大罪。義はあっても上様は大罪を犯すことになり、それを仕掛けた私たちも外道になり下がる”と仰ってくれて」と「殺さない仇討ち」とした本意を語るのです。

すると、そこに水野為長が駆け付けて、作戦が成功したことを報せました。
そして、悲願成就を知って、三浦は「殿、若殿、やりましたぞ。やりました」と涙ながらに仏壇に手を合わせるのですが、その姿を見て「あれ?」です(笑)

え?三浦はスパイじゃなかった?ホント?普通に良い人だった?
いや、私は120%三浦はスパイだと思っていましたので、これは意外でした(笑)
まぁ、制作陣の仕掛けたミスリードにまんまと嵌ってしまったのかもしれませんが、私はまだ完全に三浦を信用したワケではありません(笑)

それにしても、この作戦、菓子ではなくお茶に毒が仕込まれたというのが実に巧妙ですね。
と言うのも、今回のサブタイトルは「饅頭こわい」でしたが、これは有名な古典落語のタイトルです。
因みに、「饅頭こわい」は次のような噺です。

長屋の若者が集まって怖いモノを言い合っている中で、一人饅頭が怖いと言う者がいて、そいつを饅頭責めにして虐めてやろうと、山盛りの饅頭を男の寝ている部屋へ運び込んだ。
で、目覚めた男は大量の饅頭を見て声を上げ、酷く狼狽してみせながらも、「こんな怖いものは食べてしまって無くしてしまおう」とか「美味過ぎて怖い」などと言って、饅頭を全部食べてしまった。
その一部始終を覗いて見ていた男たちは、男に騙されたことに気付き、「お前が本当に怖いものは何だ!」と怒って聞くと、「この辺で熱いお茶が一杯怖い」と答えた。

そうです。この噺は、オチが「お茶」なのです。
それで、大いに納得してしまったのですが、実に巧妙なサブタイトです。

又、サブタイトルと言えば、前回は「曽我祭の変」でしたが、この「曽我」とは「曽我物」であり、曽我兄弟の仇討ちの物語です。
しかも、その仇討ちは一度返り討ちに遭って失敗するという展開だったりします。
なので、前回の治済の毒饅頭による返り討ちは「曽我物」のシチュエーションとリンクしていたワケで、このドラマにはそういった面白味というか深みがあるのです。

それと、治済は眠らされたまま阿波の孤島送りになりましたが、流される先が阿波というのがまた絶妙ですね。
阿波であれば替え玉の秘密を共有している蜂須賀家がしっかりと監視するだろうと思われますし、送り先としては申し分ないでしょう。

あと、定信が失脚する回で、治済が能面を付けて笑うシーンがありましたが、そこで最後に手に取って顔に当てたのが「俊寛」の面でした。
尚、俊寛というのは、流刑に処された僧であり、あのシーンはいずれ来る治済の運命を暗示したシーンであったとも言えますね。

そして、ある日、営業を再開した耕書堂に定信がやって来ました。
どうやら白河に帰る途中に立ち寄ったようですが、定信の店に入った時の笑顔や黄表紙を次々と手に取る時の嬉しそうな顔が最高でしたね(笑)

又、定信は「国政に戻ると思った」と言う蔦重に「今、戻れば、要らぬ噂を呼ぶことになろうし、それに、外道とは言え、上様の御父君を嵌めたのだ。誰知らずとも、謀反の罰は受けるべきである」と答えました。
そんな定信に蔦重は「そういうとこは筋を通されるのでございますね」と軽く嫌味を返しましたが、定信は「そういうところ”も”だ」と言い、「時折、絵や本を十郎兵衛に届けて無聊を慰めてやって欲しい」と頼みました。

そこで、蔦重が「斎藤様、上手くおやりで」と心配を見せましたが、定信は「元家老であった田沼の甥などを内々に入れるよう計らっておるし、何と言っても上様がお味方だ。多少、難が出ても、その身は確かな力で守られる」と言いました。
まぁ、確かに多少の難があっても周囲の守りは盤石ですし、しかも、本物が大好きな能に関しては十郎兵衛はプロですから、その点は問題ないでしょう。

そして、定信は「その点に付き、上様を引き込んだそなたの考えは秀逸であった。褒めて遣わす」と蔦重に言いましたが、確かにこの替え玉作戦は、外堀も内堀も上手く固める万全なものでした。
しかも、実子である将軍がその計画に加担しているワケですが、これはもう替え玉ではなく本物と言って良いでしょう。

そんな定信に「それ、仰るためにお立ち寄りに?」と言う蔦重に、「いきちきどこききてけみきたかかかったのこだか」と謎の早口の暗号で応える定信(笑)
尚、これは「か行抜き」の言葉遊びの「唐言」で、確か以前に誰袖が「抜荷」と言う際に蔦重に使ったことがありましたか。

で、定信の言葉は「いちどきてみたかった」となり、それに気づいた蔦重は「え?」と意外そうな表情を見せましたが、定信は「金々先生よりこちら、黄表紙は漏れなく読んでおる。春町は我が神。蔦屋耕書堂は神々の集う神殿であった」と言いました。
要するに、耕書堂への来店は、定信にとって「聖地巡礼」だったワケです(笑)

って言うか、この「蔦屋耕書堂は神々の集う神殿」という言葉!
ホント、最高の言葉ではありませんか!
以前にも定信は「喜三二の神」とか「蔦屋大明神」とか崇めていましたが、そんな彼が出版文化と対立してしまったのは、大きな悲劇だったとも言えるでしょう。

「あのことは我が政の唯一の不覚である。上がった凧を許し、笑うことが出来れば・・・、全てが違った」と切腹してしまった恋川春町を偲んで哀しみを嚙み締めるように語る定信。
蔦重もまた「写楽ってなぁ、春町先生への供養のつもりで取り組んだのでございます。春町先生を唆し、でっけえ凧、上げさせちまったのは私にございますんで」と言い、深い哀悼を見せました。

そして、蔦重が定信に「ご一緒出来て、ようございました」と深々と頭を下げると、定信は「では、今後は、随時良き品を見繕い、こまめに白河へ送るよう」と申し付けました(笑)
「え?」と言う蔦重に、定信は「抜け目ない商人に千両も取られた故、倹約せねばならぬ」と最大限の嫌味を返しましたが、常に皮肉や嫌味を言い合ってしまうこの二人は、実はよく似た者同士なのかもしれません(笑)

それにしても、定信が耕書堂を訪れるこの一連のシーンは本当に感慨深かったですね。
視聴者としては、このシーンが観たかったですし、もうね、感無量とはこのことです。

で、その後のナレーションで、白河に戻った松平定信は、白河の民の暮らしの向上に努め、その政は後世にも大きな影響を与え、名君と呼ばれ、同時に文化振興にも努め、自ら「楽翁」と称し、硬軟兼ね備えたオタクとしてもその名を歴史に残すことになったと語られていました。

確かに、政治と文化振興における定信の功績は、今に伝えられています。
しかし、それよりも何よりも、定信の退場が非常に清々しく、気持ちの良いものであったことが、私としては嬉しくてならないのです。

というところで、「次回に続く」となりましたが、いやぁ、今回もまた凄い一編でした!
このドラマの「そう来たか!」な辻褄合わせと答え合わせの妙にはいつも感服していましたが、今回はその最たるものであった気がします。
そして、史実の点と点を面白いフィクションで繋いだ面白い物語を堪能することが、歴史劇を鑑賞する醍醐味であるということを改めて実感した次第でした。

そして、次回は遂に最終回です。
私は予告でもう号泣してしまいましたが、最後も「屁!」で来ますか(笑)
又、蔦重は皆に看取られて旅立つような感じで、それも胸に迫るモノがありますし、そんな賑やかなラストもまた「べらぼう」らしい気がします。
というワケで、次回の最終回、蔦重の幕引きをしっかりと見届けたいと思います。
posted by メルシー伯 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 大河ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする